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父の肺がん発覚から入院生活

振り返りエッセイ: 父のこと

同窓会旅行から帰宅後

父は退職後、精力的に旅行にでかけていたようです。大学時代から何十年も続く同窓会に参加し、その旅行から帰宅するやいなや、具合が悪くなり医者にかかりました。

レントゲン検査結果

「レントゲン写真に白い影が見える」これが医者の診断でした。風邪かと軽い気持ちでいたのが一変した瞬間です。

突然の入院

突然の入院となりました。

私達家族に知らせが来たのは、入院が決まってからです。

肺がんでしたが、すでに手遅れの状態でした。がん細胞は全身にまわっており、手術での摘出は無理でした。

何十年もの間、タバコを吸い、パイプを使うようになってからは、どれだけ吸っているのかもわからないほど、ヘビースモーカーでした。

肺がん放射線治療

放射線治療が開始されてから、どのような状態だったのかは、わかりません。私達家族は海外にいて、すぐに病院に駆けつけることができませんでした。

私達の結婚に反対した父母と和解し、孫娘との初対面も果たしました。一番喜んでいたのは父に違いありません。

そんな年老いた父母を離れ、海外に行ったことが悔やまれました。

それまで元気だった父が、もしかしたら、私のせいでストレスを抱え、がんが発生したのではないかとさえ思えました。

母の看病

帰国してみると、母が一人で入院のこと、父の看病すべてを抱え、動いていました。

正直なところ、驚いてしまいました。てっきり、車で数時間のところにいる妹が、世話をやいているものと思い込んでいたからです。

父に対面すると、もう起き上がれないほど弱りはて、食事も取らずに点滴だけで命をつないでいる状態でした。時間が経過するよりも、父のがん進行のほうが、急速に進んでいるような感じさえ受けました。

点滴だけの日々

几帳面な父は、手帳に点滴の量、体温、血圧など、毎日記録を取っていました。その手帳は、今も捨てずに取ってあります。手が動かなくなるまで、書き続けており、最後の方のページは、字にならないほど乱れていました。

夜、自分で食べ物を口に入れて、むせ返したこともあるようです。

見回りの看護師に、水がほしいと訴えようとしても、声も出ずもがいているうちに、看護師は出ていってしまう状態だったようです。

食べるものも食べられず、点滴も打てる場所がないほど、限界に近づいていました。

必死に生きたかった

父は、必至に生きたかったと思います。食べ物もなんとか食べたかったのと思います。でも、自分の意思ではどうにもなりませんでした。

なぜ、流動食を与えることをしなかったのか、なぜ意思を自由に伝えることができない患者に、もっと寄り添ってもらえなかったのか。病院への不信感も募りました。

泊まり込みの看護

患者ひとりひとりに対応できない状況を知り、脱水状態の父の世話をするため、泊まり込みの看護を決めました。

母も、体力的には、もう無理でしたし、夜中の対応が必要だと、強く感じました。

それからは、父が欲しがるたびに、氷を口の中に入れてやりました。昼間は、父の好きなアイスを買って、口に与えました。本当は、もっと早く、そばにいて、要求に応じてやる必要があったのです。

入院してから、ほんの短い期間で、これほど状況が変わるのかと思うほどでした。

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