はじめに
これまで息子とのかかわりについて書いてきました。
小さい頃の明るくおちゃめな息子とは、明らかに違います。
大人への成長過程で、思春期は、本当に扱いにくく、悩みの種になってきました。
繰り返し、泣いたり笑ったり、行きつ戻りつのブログになってしまいました。
思春期息子の反抗が過干渉を気づかせた
私は息子に対して、「過干渉」の母であったと自覚したことを『思春期に悩む息子に対する過干渉を自覚』でつづっています。
「今、自覚できるのは、先回りして息子が望んでもいないのに動いてしまっていたのだ、という過干渉です。
無意識のうちに、私の思うようになってほしい、というこだわりで息子をがんじがらめにしていたということです。
息子をどうしたら変えられるかしか考えていなかったということです。」
息子の部屋を掃除したこと
ある日、息子が出かけた際、息子の部屋に入りました。
あまりにも散らかっていて汚いので、出かけている間に整理整頓しようと思い、洗濯物や食べかけのものを始末しました。
床に投げつけてあったカバンの中も、食べ物が入れてあったタッパーや紙くずなどを捨てました。
ある程度きれいに整った状態になり、すっきりした気分になりました。
息子が戻ってくると、 私を激しく呼ぶのです。何が問題なのか 、綺麗にしてあげたのに。私の方からすれば、「ありがとう」と言われて当然だという気持ちでした。
息子は、自分のカバンを私に見せてにらみつけ、 「このカバンを開けたのか」と追求してきたのです。
ゴミや食べ終わったタッパーがそのまま入っていたので始末した ことを言いました。汚かったのできれいにした、それだけのことでした。
息子からすると、いない間に部屋に入り、カバンを開けて勝手に見たことが許せなかったのです。
「僕は、お母さんのカバンを開けて、勝手に見たり、中のものを捨てたりしたことはない」と、私のやったことを我慢できないように、大声をあげました。
それ以来、何か気に障ることがあると、そのことを口にするのです。私は、散らかっているものを整理しただけですし、カバンの中のゴミを始末しただけなのです。
せっかく整理してきれいにしてやったのに、感謝の代わりに、文句を言われて、私のほうこそいらだって腹が立ちました。
このような気持ちの行き違いは、たびたび起こりました。
やってあげたのに感謝ではなく、不平不満となって返ってくる。そして、私が、息子の批判の対象となるというストレスです。
本当の愛情?
紫田理恵は、彼女の要介護の母親を、「適当な距離感を保ち、厳しいが、本当の愛情に安心感と信頼を感じることができた」と振り返っています。
「子どもと親は別もの」、親の介護で子どもが自分を犠牲にすべきではないと、母親は断固として、娘の介護離職を断ったそうです。
私は、息子の領域をぶち破って入り込んでしまったのです。
ベースにあるものは、息子に対する信頼ではなく心配、距離感を無視した自己本位な思い、子どもと母親を一体化した無意識の支配欲です。
これが本当の愛情と言えるでしょうか? 一方で、自分の部屋を管理できない息子に対して、厳しさはあったでしょうか?
思い通りに、先回りして処理してしまう…息子が行動を起こすまで待っていられない、手を出さずにはいられない、自分の満足するように管理したい。まさに、「過干渉」の極地ですよね。
時間が経過して、落ち着いて振り返ってみて、今、初めて気づくことができているのです。
その場では、息子のためにしたことで、反抗的態度を浴びせられる意味がわかりませんでした。
なせ、「ありがとう」という言葉が返って来ることなく、息子の怒りが起こるのかわかりませんでした。
感謝ということを知らない、してもらったら、ひと言「ありがとう」と言うべきだ、と母親としてのアドバイス・ムードに行き着いていました。
いつもいつも、息子のためと思ってやることが空回りして、 母親としての「思いやり」が否定される。
それでもまた、「間違った愛情」で働きかける、頼まれもしないのに、世話を焼いてしまうという悪循環です。
その結果、ストレスを背負うのは、両者です。息子の反抗はおさまらず、私は、苛立たしさで崩れそうになるのです。
「過干渉」は、愛情の間違ったあらわし方
「過干渉」は、 愛情の間違った表し方ではないかと思います。子どもの望んでいないことをやる、愛情の一方的な押し付けです。
「過保護」と比較されることがありますが、「過保護」は子どもの望んでいることを何でもやる盲目的な愛情です。
両者とも親の愛情がベースになってはいますが、「過干渉」は 子どもの反発をかい 、「過保護」は、親子関係に支障が出ることは少ないかもしれません。
しかし、子育ての目標が子どもの自立/自律だとすれば、両者とも、その目標を達することがはできません。
「過干渉」の問題は、親の思いと子どもの思いが反発し合うところにあります。
しかも、親が「過干渉」であるという自覚を持たないまま、行き過ぎた行為に走ってしまうということです。
「過干渉」を自覚するには
「過干渉」であることが自覚しにくいのは、親自身が、子どもに愛情を持ち、子どものためにやっているという意識があるからです。
しかし、その行為は、無自覚、無意識 の「 過干渉」になっていることが多いのではないかと思います。
親自身が距離を置いて、自分の行為がなぜ子供の反感につながるおのか、落ち着いて客観的に振り返る場が必要だったと思います。
子どもは、その成長の過程で、親の支配下から離れたいという、自立へ向けての歩みを進めているのです。
何が本当に必要なことなのかを考えることができれば、歩みよりの第一歩になるのではないでしょうか。
重要なのは、子どもを変えようとすることではありません。
息子の母を思う心
反発があっても、言い争いになることがあっても、息子が、母親を心配し、思いやりを抱いていることを感じる瞬間があります。
息子の優しさにそっと気づくことがあるのです。
息子が私に、どんな母親であってほしいのか、ようやく落ち着いて考えることができるようになりました。
思春期の息子、その日によって違うので、振り回される感あり
現在は、距離を置いて構えているので、ある程度良好な関係を保っているつもりです。
一時期は、息子との距離を縮めよう、頼れる母であろう、親しみの持てる母でいようという意識が強すぎました。
特に、父親への反発は、目に見えており、なおさら、息子の気持ちをわかってあげなければと思いました。
しかし、私が近づこうとすればするほど、逆に遠のいていくような状態でした。
そして、冷静に振り返ると、息子の言動に、こちらが神経質に反応してしまい、振り回されている感覚であることを自覚できました。
その日によって、気分が違う
距離を置いて構えているのには、理由があります。その日によって、その時によって、息子の気分や感情が変わるのです。
向こうから、優しく声をかけてくるときがあるかと思えば、ブスッと黙り込んでこちらのことを無視するような態度を取ってみたり。
ちょっとしたことにキレてみたり、なんとなく落ち込んでいるように見えたり。
とにかく、口数が少なくて、よくわからないのです。
思春期男子の感情
「思春期男子は、男性ホルモンのせいで、感情の起伏が激しくなる」そうです。
「人間の本物の感情には、怒り、悲しみ、おびえ、喜びの4つがある」といいます。
思春期は、男の子にとって、感情が不安定になる時期だと、親のほうが認識しておくことが必要なのでしょうね。
そして、いちいち反応して、親自身がストレスをためないように気をつけること、思春期の不安定さをわかってあげることでしょうね。
娘の場合とだいぶ違う
娘の場合は、気持ちをオープンに表現するので、とてもわかりやすいのです。
思春期の反抗は、それほど強くなかったと記憶しています。
今でもそうですが、不安や悩みを抱えると、親に相談します。娘の考えていることは、把握しやすく、息子のように閉じていません。
息子に対しては、悩みや落ち込むことがあれば、自分の中にしまっておかずに、人と話してほしいのです。
話すことで気持ちの整理がつくこともあると思うからです。
距離を保ちながらも、必要な時には助けになるような関係性でありたいものです。
私は、ノンフィクションを好んで視聴していた
私は、ドキュメンタリー、ニュース、情報番組、リアリティー番組、旅行情報など、自分の生活に直接役に立つものや、実際にあったことを好んで視聴していました。
私を除く家族は、映画好きでよく洋画を見ていました。娘は韓国に興味があり、息子も小さい頃は、一緒によく見ていたそうです。
自分たちの部屋で、二人でいつも一緒に過ごしていたので、息子が韓国映画にハマっていたのは、娘に聞いて初めて知りました。
映画を見るようになったきっかけ
数年前、息子のリクエストで、Netflixを申し込みました。それをきっかけに、私もいろいろなプログラムを見るようになリました。
ある日、思いがけず、息子が「一緒に見よう」と誘ってくれました。
小さい頃から、たくさんの映画を繰り返し見ていて、見ていないものがないほどだそうです。
その頃好きだった映画や俳優について、思い出も一緒に話してくれました。
穏やかに話してくれる顔をみて、久しぶりにホッコリしました。
アニメやゲームしか興味がないと思っていたので、息子が、こんなに映画に詳しいことも知らずにいました。
息子のことは、すべて把握していたつもりだったのに、知らないことばかりで驚きました。
あまり、顔を合わせてゆっくり話すこともなくなり、お互いの気持ちにも行き違いが生じていました。
私が、Netflixをよく見るようになり、その様子を見て、息子が映画の話をしたいと、心を開いてくれたのかもしれません。
映画は、 私と息子の距離感を縮めるきっかけを作ってくれました。
「親のせい」にしたい息子の本当の気持ち
「母親のせい」とする「他責思考」は、性格的に
「・人一倍不安を感じやすい
・プレッシャーを感じやすい
・過剰な責任感の強さ
・完璧主義」
という特徴があるそうです。
「プレッシャーや焦りを一番身近な存在である母親に向けている状態」だそうです。
不安やプレッシャーの心理の現れ
娘は、悩みをすべて吐き出して、アドバイスを求める傾向にあるので、どういう状態にあるかもわかりやすいし、その都度受け止めて助言することもできます。どう動くかは本人次第ですが。
息子のほうは、ひとりで抱える傾向にあるので、いったい何を考えているのか、悩みがあるのかないのかさえわかりません。
表面上見えないナィ-ブさもあって、精神的に負の状態のときは、不眠、食欲減退になって現れるようです。
一歩、距離を置いて受け止める
私は、つい感情的になって受け答えしてしまうところが難点です。
夫は、子育てが大変な時期に、単身赴任で不在のことが多かったですし、苦労して家族のことを一番にがんばってきたのは、私だと確信しています。
それを頭から批判されているようで、息子が「母親のせい」ということばを発することに対して、全面否定された気持ちになるのです。
感情的になった時は、距離を置いて冷静になることが必要だと反省しています。
大切にした方がいい人
作家のえらせんさんは、「大切にした方がいい人5選」という記事を挙げています。
1. あなたが落ち込んでいる時に「そばにいて寄り添ってくれる人」。
(自分のペースで立ち直るのを待って、ただそっと支えてくれる人)
2. あなたが迷った時に「そっと背中を押してくれる人」
(あなたの未来を信じ、心の支えになる人)。
3. あなたが大切にしているものを「一緒に大切にしてくれる人」
(あなたの価値観を尊重し、共感してくれる人)
4. あなたが「あなたらしく生きることを尊重してくれる人」
(自分を偽らずにいられる場所を提供してくれる人)
5. あなたと「同じテンポで歩いてくれる人」
(あなたの心のリズムを理解し、共感してくれている人)
私が、子どもたちにとって、「大切にした方がいい人」になれたら、過干渉の問題も解決するのでしょうが。
ゆったり大きく構えて動じない自分でありたいです。
息子の反応で気づいたこと:信頼してほしい
昨日、息子のほうから、そばに来て話し始めました。何のことだったか、よく覚えていないほどたわいもないことでした。
口をはさんだひと言
会話の最後に、私が口をはさんだひと言が気に触ったらしく、その場の雰囲気が変わってしまいました。
息子は、「自分のことをまったく理解していない」と、私をはねつけるようにいら立ちながら、その言葉をぶつけました。
それに対して、「親は過剰な反応をしない方がいい」わけですが、やっぱり感情的になってしまいました。お互いの険悪なやりとりが数分続き、離れました。
距離を置くことで、落ち着いて振り返る時間が生まれる
息子の発した「自分のことをまったく理解していない」という意味は、(母親が、息子のことを100%信頼できているならば、息子に対してそんなアドバイスは必要ないはず)ということです。
(自分のことを1番良くわかっているのは、息子自身だと理解しているなら、親があれこれ口出しすべきではないと考えるべきだ)ということです。
自分を信頼してほしいという心の声
親の気持ちからすると、先のことを心配するから、ネガティブなことが起こる前に忠告しておきたいと思うわけです。
しかし、それは、相手のことを100%信頼していないことの表れでもあります。
親のアドバイスに子どもが耳をふさぐのは、自分を信頼してもらえていないといういら立ちなのだと思います。
今日の会話
今日も、息子は話したいことがあるのか、そばに来て話し始めました。自分がコンビニで買ったドライソーセ-ジが気に入ったというだけのことでした。
たわいのないことで始まった会話が、次々トピックがつながって、お互い受け入れの穏やかな雰囲気を保ちました。
私は、いつの間にか、積極的な参加型聞き役になっていました。
対話がもっと必要だった!過去の息子
息子とゆっくり話す機会がありました。これまで、心を割って自分のことを十分に話すことのない息子でした。
今回、一緒に旅行をすることで、日常から離れて開放的な気分になったこともあると思います。
歯の矯正ブリッジのこと
10歳の頃、矯正歯科医に連れて行ったことがあります。歯並びを見てもらい、矯正が必要か確かめるためです。
その結果、特に歯並びには大きな問題はなく、矯正には早すぎるということで、14歳を過ぎた頃に、再度調べたほうがいいと言われました。
その後、様々な理由で、ようやく一年ほど前に矯正のためのブリッジをつけることになりました。すでに、14歳をとうに過ぎていました。
実は、息子は、歯のことでかなり前から悩んでいたというのです。
友達は、もっと早く治療を始めている人が多かったし、自分も同じ頃始めたかったのだそうです。
歯のことが恥ずかしくて、口を開けて笑えなかったと言います。
私は、そこまで悩んでいたとは全く知りませんでした。それならそうと、歯の矯正をしたいと伝えてくれたら、もっと早く始められたかもしれないのに。
その頃は、バスケのトレーニングや試合で運動が激しい分、たくさん食べることも必要でしたし、学校、トレーニング、試合と、時間的に余裕が全くなかったこともありました。
私も忙しくしていた時期でした。でも、それほど気になって思い悩んでいたのなら、何とかしたと思います。
息子は息子で、歯の矯正が年齢的に必要であることを親がわかっているはずだと思いこんでいたのだそうです。
思春期という年齢は、そこまで親と自然に会話するのを避けるものかと残念ですが、やはり必要なことは伝えてほしかったと思います。
ほかの男の子なら、こうした母子のズレは、私と息子ほど生じないものでしょうか。
思春期という年齢の難しさというより、性格的なものでしょうか。
それとも、単に、対話の機会が少なかったのか、私が母親として息子の悩みを感じ取れなかっただけなのか?
バスケのコーチやチームとの不和
その頃のバスケのコーチやチームメイトについても、話してくれました。
チームを決める選抜セッションがあり、3つのチームが上のレベルから1、2、3と結成され、息子は2番目のチームに選ばれました。
最初のゲームでスターターとなり、いくつも点数を入れて活躍できました。自分でも満足できる試合だったようです。
ところがその後、チーム1に欠場者がいて、息子がチーム1に上がることになりました。
息子自身は、一番上のレベルに上がったことで、チャレンジしたいという気持ちが捨てられなかったのだと思います。
しかし、チーム1では、コーチの指導にも馴染めず、チームの仲間に入り込むのも難しくて、嫌な思いしか味わえずにいたようです。
しかも、試合に出ることも限られ、補欠のような扱いを受けていました。
チーム2では、コーチにも認められ、チームメイトとも仲良くプレイできて楽しかったのに、チーム1の影響は、その後のバスケ活動のモチベーションにもかかわりを持っていくことになりました。
チーム1の活動について、1番よくわかっているのは本人だったわけで、チーム2に戻りたいという意思を示していたなら、そうすることができたはずです。
コーチに言いづらかったのなら、相談してくれれば、問題解決に結びついただろうにと、話を聞いて思いました。
親子の対話をきちんとして、息子の心の迷いを受け止めていたら、良い方向に進めることができていたかもしれません。
チーム1自体、バスケの活動に対する抵抗を感じる原因になっていたにもかかわらず、レベルが1番上のチームであり、自分はそこに入ることを抜てきされたというプライドにこだわる、もう一人の自分がチーム2に戻ることを拒んでいたわけです。
大好きだったミュージシャンの相次ぐ死
この頃、息子は音楽にもハマっていて、いつも好きなヒップホップを聞いていました。
ひとりでバスケのシュ-ト練習をするときは、好きな音楽をバックに流していました。
特に、2人のミュージシャンが好きだったようですが、ある時、突然、ふたりとも亡くなってしまったのです。
ひとりは射殺され、もうひとりは自殺でした。
デリケートな年齢でもあり、精神的には心に穴のあいたような状態だったと思います。
その頃には、すでに小さい頃の明るく元気で茶目っ気のある息子ではなくなっていました。
今後、対話の機会を見つけていきたい
旅行という日常を離れた機会は、対話の時間を作ることができたという収穫になりました。
構えると、かえって難しいですが、お互い自由に心を開いて話せるチャンスがこれからもあるといいなと思いました。
息子と一緒に〇〇年ぶりのスキーチャレンジ
去年、海外に住んでいた息子が帰国した際、スキーに連れて行きました。
息子のスキー初体験
息子は、スキーが初めてでしたが、すぐにリフトに乗って、上まで行って、初級レベルのコースをすべり、数回すべっているうちに初中級レベルをすべれるようになりました。
私は、もっぱら見学で、今さらスキーは無理だと思っていました。ただ、自分も、一緒にすべれたら良かったという思いだけは残りました。
今年は、チャレンジ
今年は、「新年にやりたいこと」の一つにスキーを挙げ、⚪⚪年ぶりにチャレンジしようと決めていました。ゴ-グルとグローブも購入しました。
昨日、ついにスキー場へ出かけました。レンタルスキーを借りましたが、スキー靴のはき方までわかりません。
息子に手伝ってもらって、ようやく準備ができました。
スキー板をかついだら
スキー板をかついだら、重くてしんどくて、数歩進むのがやっと。
しかも、スキー靴では、思うように歩けません。やっとの思いで、すべる場所までたどり着きました。
息子からは、歩くのもやっと。無理だと思ったら、ケガする前にやめた方がいいと言われました。
始める前に、やっぱり返した方がいいかもと、弱気にもなりました。
スキー靴をスキ-板にくっつけるのにモタモタしているうちに、息子は、さっさとリフトのほうに行ってしまいました。
数メートル登って降りてみた
スキー板を横にして、坂を登って降りることにしました。
実際は、坂とは言えない程の場所で、真っ平らにちょっと毛が生えた程度のゆるやかなところです。
ちょっとでもスピードが出ると怖いので、板を八の字にして、ブレーキをかけながら降りました。
息子に誘われ、リフトに乗った
坂を登る方が体力がいるので、大変です。だんだん要領がつかめた頃、私の様子を見て、息子にリフトで上に行くよう誘われました。
上に行くと、小さな子どもたちでさえすべっている坂のきつくない場所があるというのです。
結構、スムーズ
リフトにうまく乗れるか心配でした。リフト係のおじさんや息子にタイミングを教えてもらって、乗ることができました。
今度は、リフトから降りる時のタイミング。
思ったより、スムーズに降りられました。
さあ、いよいよ、下まで何としてもたどり着かねばならない長い旅。
息子にリードされながら、最初は、おそるおそる動き出しました。ハの字のまま、あまりスピードを出さないようにですが、無事下まで降りることができました。
数回のリフト
数回、すべって、『あぁ、やれる』という思いで終わることができました。
⚪⚪年前も、初級レベルで終わってはいましたが、自分の生涯で、また、スキーがやれるとは思ってもいませんでした。
今年は、あと数回、スキーに出かけるつもりです。
息子に送ったメッセージ
息子の今年の目標の一つは、車の免許を取ることでした。
ジムに通っていて、車で自由に行き来したいというのが、直近の要望でした。
落ち込んだ息子からのメッセージ
自分では、完璧にマスターしていて、実地試験に落ちるわけがないと自信を持っていたようです。
ところが、ふたを開けてみると、結果は不合格。
「自分では、うまくやってミスはなかったと思ったのに、教官から失格と言い渡された」という主旨のメッセージが送られてきました。
普通は、あまり自分のことを打ち明けることがないので、よっぽどショックだったのだと思います。
また、しばらくは、ジムに通うのも不便が続くというダブルショックだったのでしょう。
気持ちがわかるだけに、どう返したらいいかわかりませんでした。
教官から見て、何かが不十分だったに違いありません。
ティーン・エイジャーは、特に、細心の注意を払って運転してほしいということもあったのかもしれません。
下手なアドバイスは、かえって本人の気持ちを傷つけます。
これにめげずに、たとえ何度しくじったとしても、免許が取れるまで、モチベーションを保ち続けてほしいのです。
自分からチャレンジをしようと思ったことですから。
Michael Jordanの言葉
バスケが好きだった息子は、やめた後でも、Michael Jordanの靴を愛用しています。
それで、この二つの言葉を送りました:
“To learn to succeed, you must first learn to fail.
Step by step. I can’t see any other way of accomplishing anything.”
(成功することを学ぶには、まず失敗することを学ばなければならない。一歩一歩。何かを成し遂げるには、ほかに方法はない。)
-Michael Jordan
“I can accept failure, everyone fails at something. But I can’t accept not trying.”
(私は、失敗を受け入れることはできる。誰だって何かには失敗するものだ。しかし、〔失敗を恐れて〕やろうとしないことは、受け入れられない。)
-Michael Jordan
ついに免許取得
しばらくは、車に乗ることも避けたいようでしたが、試験の前に、何度か父親と練習に行きました。
小さなことですが、自分で決めてチャレンジし、目標を達成することができました。
息子にとっては、大きなステップになりました。
まとめ
ティーンエイジャーの息子とのかかわりを、ブログに綴ってきました。それを、一つにまとめました。
小さい頃から、学校のことにもスポーツ活動にも、ずっと一緒にかかわってきました。
今まで、とても仲の良かった親子関係が、ある日、突然、うまく行かなくなったような戸惑いがありました。
思春期の反抗的態度は、時々顔を出しはしますが、そろそろ大人に向かっているような面も見られるようになりました。
ただ、まだまだ、息子の気分によってこちらに対する態度も違うので、いつも同じようにかかわり合えるとは言い難いというのが現実です。
一方で、息子との旅行やスキーのアクティビティが実現できたことは、私自身がある程度成長したのかもしれません。
親が子どもの言動に、いちいち反応して振りまわされることを避ける心構えが必要かと思います。