はじめに
高齢化社会の波は、現実の生活の中で日々実感するようになりました。
それは、少子化と並行して進んでおり、問題を大きくしています。
出会った情報をもとに、これまで書いてきたブログを整理し、まとめました。
ネガティブ思考の もたらす影響
心の不調を訴える人の口癖は、
- どうせ
- ダメだ
- 無理
- でも
- だって
- どうしよう
- 所詮
だそうです。
こうして並べてみると、あきらめ・否定・言い訳のことばを、自分自身に投げかけているわけですよね。
カラダの不調というのは、体調が悪いとか、具合が悪いとか、健康を損ねて肉体的に支障が出るので、よくわかります。
心の不調とは、どういうことでしょうか。
- 気分や感情の変化
- 睡眠の変化
- 食欲の変化
- 意欲や気力の低下、
- 行動の変化
が起こることだそうです。
落ち込んで気分がふさいだり、イライラして怒ったり、笑顔がなくなって無口になったり、ぼ-っとしたりと、これまでと様子が違うサインがあると言います。
特に、睡眠と食欲の変化が顕著に表れるそうです。
健康というのは、精神的、肉体的の両方が健全であることを意味しますよね。
特に、精神的な健康が失われると、その変化や口癖が、ネガティブなサインとして表れるということです。
「みじめな老後を送りたくない」と思えば思うほど
「 惨めな老後を送りたくない」と不安に思えば思うほど、 生活費の足りない老後貧のだそうです。
ネガティブ思考の罠にはまって悪循環から抜け出せなくなるのかもしれません。
ポジティブ思考の もたらす影響
老後を不安に思うあまり、心配事を現実に背負い込んでしまうことになっては、もともこもありません。
今後の生活をよくするためにも、自分中心のポジティブ思考で行くほうが良さそうです。
小さな願いを持って、自分を大切にし、素直に幸せを感じる力を養うことで、豊かになれるということのようです。
岩原昭彦教授は、老いを前向きに捉え、ポジティブ思考でいることは、認知機能にとってとても大切なことなのだと指摘します。
「まずは 老いを自覚しこれでいいんだと自分を肯定する。そうすると、些細なことでも人生の意味を考えられる」と言います。
思い出を語ることも、幸せな未来を想像する ことも、認知機能を高め、認知症防止にも役立つのだそうです。
日々のニュースは、ネガティブなことばかり。老後の不安をあおるようなことばかり。
自分の感覚がブレないように、落ち着いて、ポジティブを見つけて行きたいと思います。
「80歳の壁」
人生100年時代だが、健康寿命の平均は男性72歳、女性75歳。80歳を目前に寝たきりや要介護になる人は多いといいます。
「80歳の壁」は高く厚いが、壁を超える最強の方法がある。それは、嫌なことを我慢せず、好きなことだけすること。
「食べたいものを食べる」「血圧・血糖値は下げなくていい」「ガンは切らない」「おむつを味方にする」「ボケることは怖くない」等々、思わず膝を打つヒントが満載。
これは、精神科医の和田秀樹さんによって書かれた本です。
70代とは違い、一つ一つの選択が命にかかわる80歳からの人生。
80歳を過ぎたら我慢をせず、老いを受け入れて生きるほうが幸せであるということです。無理や我慢をやめて、やりたいことをやる、好きなように残りの人生を生きるべきだという一貫した主張が述べられています。
認知症になりたくない
老後の望みは、元気で 気ままな生活を送ること、認知症にならずに生きること、苦しまず、最期は「ありがとう」という気持ちを持って死ねること。
できていたことが、できなくなって行く危機感! 夫から、前に聞いた話を繰り返すされる。私も、キッチンまで行って、「あれ? 何しに来たんだっけ?」という日常。
2025年には、65歳以上の5人に 1人が認知症という事態が起こるそうです。
年を取ることは避けられませんが、何とか認知症になるのだけは避けたいのです!!
認知症予防を生活習慣に意識的に取り入れたら、老後の望みが叶うのではないでしょうか。
認知症予防に効果的な食品
認知症予防に効果的な食品を、生活習慣に取り入れることはできそうです。
- 半熟卵(コリン)
- 純ココア(フラバノ-ル)+フラクトオリゴ糖
- ベリー類(生か冷凍)
- 良質な脂質(小型の青魚、ココナッ日常のツミルク、MCTオイル、アボカドオイル、グラステッドバター)
ただ、これらを食べていたからといって、認知症にならないという確証はありません。
やはり、基本は、あまり気にせず、楽しく生きることのほうが、大切であるようです。
『ほどよく忘れて生きていく』
92歳の現役医師、藤井英子さんは、その著書『ほどよく忘れて生きていく』の中で、幸せになるための7つの忘れるべきことについて助言しています。
7つの忘れるべきこと
7つの忘れるべきことは、
- 自己犠牲
- わかってくれない
- 完璧
- 競争
- これまでのやり方
- 心配
- 親だから
です。
幸せであるために
簡潔にまとめると、幸せであるためには、
• 我慢してまでやるのは、思い込みに過ぎない。
• 人を自分の思い通りに変えようとすべきではない。
• 完璧を求めたり、人と競争すべきではない。
• 心配しすぎてもしょうがない。
• これまでの自分のやり方を押し付けたり、親だからと上から目線で、助言すべきではない。
ということです。
楽観的に、人のことを気にしすぎず、自分が幸せに生きるために、自分自身が変わっていくことが必要だということを教えてくれています。
『60歳のトリセツ』
脳科学者の黒川伊保子さんの著書『60歳のトリセツ』について、60代女性の親子関係に関するお悩み相談へのアドバイスの記事がありました。
親子関係の悩み
60代の女性は、成人した子どもたちと仲良くしたいのに、「ウザい」と疎ましく思われ、関係性を良くするにはどうしたらいいか悩んでいるということでした。
60代の思考で「べき論」をかざすのは、20代、30代の息子、娘には受け入れられないと、黒川さんは主張します。
子どもたちは、自分とは別の人間であって、思い通りにはならない。不安や心配をしても、仕方のないことで、子どもたちは、失敗しても、それを経験として学んでいくものだとアドバイスしています。
幸せのための心の処方箋
幸せにいきるためには、自分を大切にし、心配しすぎないこと。
たとえ家族であっても、自分の思い通りにはならない別の人間であることを知ること。
上から目線で、ものを言うこと自体、自分の視点であって、他に押し付けるべきではないこと。
このおふたりからのアドバイスは、私にとっての心の処方箋です。
これまでの私
これまでの私は、家族のために尽くすことが必要だと思ってきましたし、自分に求められていることだと思ってきました。
自分自身は、結構、天然ボケのところがあって、おおざっぱで抜けているくせに、子どもたちのことに関しては、心配し不安に思って、お節介をやいてしまう。先走って、手を出したり、口を出したりして、うるさがられる。
そして、自分の思うように動こうとしなかったり、自分の言った通りにならななかったりすると、「どうして、これだけ言ってもわからないのか、ホントに呆れてどうしようもない」と相手を非難する。
結果、自分で勝手にストレスを抱えてどうにもならなくなる。
これまでも、何度かブログに書いてきましたが、こうした姿勢では、幸せは逃げて行ってしまうのでしょうね。
まわりにも、ネガティブな影響を与えてしまいます。
自分自身が明るく楽しく、余裕を持って生きていれば、まわりにも幸せ波長が伝わっていくことでしょう。
結婚しない若者世代・孫のいない年寄り世代
結婚しない若者が増えるということは、孫のいない年寄りが増えるということですよね。
子育てが終わり、やれやれと思っているうちに今度は孫の世話で忙しくなるお年寄り。
孫との接触が楽しみでもあり
大変でもあり
ところが
子供たちが結婚しないということは、孫のいるお年寄りとは違った老後になるということですよね。
結婚しない若者が増えている理由
なぜ、結婚しない若者が 増えているのでしょうか?
以前、『 独身貴族』ということばが流行りまた。金銭的にも時間的にも余裕があり、裕福で自由な独身者という意味です。
自分の意思で選択している場合、自由でありたいというのが結婚しない理由であることが多いようです。ところが、最近は結婚したくても出来ない若者が増えているそうです。
生活費が足りない、結婚したい相手がいないなどの理由です。
大きな問題となっている少子化は、単に、子どもの数が減っているというだけの問題じゃありませんよね。
結婚したくない若者、結婚したくても出来ない若者が増えているいる、孫のいない年寄りが増える。
『おひとりさま』の年齢層も、広がって行くでしょうね。
結婚したくない『おひとりさま』
老後 の時間を一人で過ごす『おひとりさま』
一方、拡大する高齢化社会では、深刻な『老老介護』の問題も生まれていますね。
年老いた夫 が年老いた妻を介護する(またはその逆のケース)、年老いた子どもが親を介護するケースです。
最近では、逆に、年老いた親が子供を世話する『8050問題』 とか『子ども部屋おじさん・おばさん』の問題も取り上げられてます。
いつまでも実家で暮らす子どもを、年老いた親が世話するという逆転現象です。
生活費が足りないことで、結婚したくても出来ない子どもが、年金暮らしの親に頼っているとしたら、親が子育て延長の苦悩を背負うわけですよね。
こうした場合は、 親も子も共倒れになりかねません。
先日、『おひとりさま』が、将来何を不安に感じているか、20歳~69歳までの男女年代別に調査した結果が載っていました。
20代の男性は仕事でしたが、それ以外は、20代 女性、30代、40代、50代、いずれも、老後の生活費で、60代は自身の病気だったそうです。
この結果を見ると、20代から50代までの『おひとりさま』が『独身貴族』であるとは考えにくいですよね。
私が20代の頃
私が20代の頃は、ある年齢に達すれば、結婚して、子供を産んで、孫ができる、 これが一般的でした。
25歳=クリスマスケーキと言われました。クリスマスケーキは、25日を過ぎたら売れなくなる。女性も25歳が結婚適齢期。25歳を過ぎれば売れなくなると言われていました。
第一子の出産も、32歳頃までに、ということも聞きました。今は、高齢出産も増えていますね。
嫁姑の問題を扱うドラマなども、よくありました。でも、子どもが実家から出ない、結婚しないとなれば、嫁姑のいざこざを経験しないお年寄りも多くなるわけですよね。
母と姑は、ちょっとした行き違いや思い違いで、 お互いしっくり行かないことが多々ありました。父が、母と姑の間に入り、サンドイッチ状態の立場でした。
昔は、貯蓄は、将来に備える資産形成になりました。今は預金しても、まったく増えないわけですから、20~50歳代の不安が老後の生活費用というのも理解できます。
三世代が集まる家族のお正月も減る!?
結婚しない若者、孫のいないお年寄りが増えるということは、三世代、家族みんなで集まって、大みそかやお正月を楽しむという光景も、将来は変わって行くのでしょうね。
子どもたちが私の年代になったとき、家族で集まる年中行事は、どうなっているでしょうか?
私の子どもの頃は、年越しそばを食べて、紅白歌合戦が始まるのを家族みんなで待ちました。終わると、お寺から除夜の鐘が聞こえてくる大みそかでした。
もう、紅白歌合戦を見ても、知らない歌手ばっかり。今年は、視聴率、どうなるのでしょう!?
古くなった実家に対する決断の必要性
古い家をどうするか、父母の亡くなった後、遺品整理をどうするか、頭の痛い問題です。
本気で考えるにはまだ早いという意識が先行して、なかなか手を付けられずにいます。
何度か、各部屋に入って眺めてはみるのですが、あまりにも物が多くて、どこから手を付けたら良いものかわかりません。結局、手つかずです。
アルバム、仏壇以外、ほとんど撤去できるのではないかと思ってしまいます。使わないカバン、洋服、着物、布団、本、食器類、すべて撤去できたら、どんなにスッキリするでしょう。
家具は、とても質のいいもの、電化製品は、購入後それほど経っていないもの、これらは、捨てるにはもったいない。
頭の中では、いろいろ処分について考えるのですが、価値のわからない物は、自分にとっては必要のない物です。でも、これを処分していいものかどうか。
自分の買ったものならすぐ判断できるのですが、父母のものは、何とも困ってしまいます。
大地震が起こって実感
お正月早々、能登で大地震が起き、どこで、いつ、何が起こるかわからないと感じました。
今回は、日本海側の広い範囲で津波警報がありました。現在も、生き埋めになっている人たちの救出作業が行われており、生命の危険72時間の限界をむかえています。
一番地震の激しかった地区では、建物が倒壊し、今後も天候によって土砂崩れの危険性があります。
太平洋側では、今後南海地震も予想されており、災害大国日本では、どこにいようと、自分の身に降りかかる恐れがあります。
そうした状況の中で、この古い家をどうしたものか悩みます。
辺りでは、空家になっている家も結構あります。家付きで売地にしていても売れず、解体して平地にしましたが、それでも売れない土地もあります。
建て直して、いつの間にか新築の一戸建てになっているところもあります。
駐車場になったり、アパートになったりしているところもあります。
あちこち、傷んできていたり、修繕の必要なところも出てきているので、なんとかしなければなりません。
手放す、建て直す、リフォームするの選択です。
この大地震の出来事で、あらためて考えたのは、家そのものと地盤です。
いずれにしても、大きなお金がかかることなので、慎重に判断する必要があります。
自分の老後とのかかわり
今後、老人ホームに行くことは希望していません。
この家をどうするかは、直接、私の老後生活をどうするかの問題に繋がります。
自分がボケて判断力が落ちたり、体力がなくなったりする前に、調べられることは手をつけて行かなければと、自分に言い聞かせています。
2024年、自分自身の今後の問題として、やれることから始めてみようと思っています。
今の時間は今しかないので、面倒なことも、好きなことも、両方二股かけて行くつもりです。
娘との話し合い
私以外に、この家に時々滞在するのは娘です。今のところ、ずっと住むつもりはないものの、なくなったら困ると言います。
就職の関係で、一人住まいしているところは、あくまでも仮住まいだからです。
できれば、私の後を引き継いでくれることを前提に、具体的に話し合って行きたいと思っています。
作家の山口恵以子さんは、築35年の家を大規模修繕して、今後50年は安心して暮らせる、死ぬまで住んでいける家にしたそうです。
羨ましく思うと同時に、尊敬してしまいます。どうしても避けられない一大事業。
実家のことは、多かれ少なかれ、みんながやっていること。逃げるわけには行きません。
負の遺産として避ける選択もあるようですが、私にはその選択はありません。
外出して思う高齢化社会
今朝、お天気もよく暖かいので、バスでスーパーに買い物に行くことにしました。 外に出ると、 本当に雲ひとつない青空です。これこそ秋晴れ。もうすぐ紅葉真っ盛りでしょう。
日本の高齢化社会
特売日のせいか、お天気のせいか、ス-パーは朝から人で混雑していました。ただ、外国から来た人達だったら、この光景に驚くだろうと感じました。
どこもかしこもお年寄りだらけだからです(私もその一人ですが)。
仲良く買い物をしているご夫婦もいれば、一人でトロ-リ-に次々品物を入れている方、かごをぶら下げて眺めている方、レジに並んで静かに順番を待っている方など、各々のぺ-スで動いています。
日本の高齢化社会の一端を見た朝でした。
高齢化による近所の様子
お隣りさんは、おばあちゃんが数年前になくなって、数日前から空き家の解体工事が始まりました。
気になり始めているのは、果たして新しい 家を建てるのだろうか、売地にするのだろうか、それとも駐車場にするつもり? 今後、どう変わるのか?
他人事であっても、いずれ自分の身にもふりかかる問題でもあるのです。
ご近所は いつのまにか駐車場に変わっていたり、新築のアパートになっていたりするところが 数多く見られます。あちこちに空き家や売地の看板も見受けられます。
都会では、外国人投資家が、盛んに何億という値段で日本の物件を購入しているのだそうです。
今朝のテレビ番組では、若い中国人女性の例が紹介されていました。地方では、家も土地も思うようには売れないのが現実です。
父の実家の相続
父は 田舎の実家から1人残った祖母を引き取った後、空き家になった古民家を守ろうと、 毎年、何時間もかかる場所を訪れて修理していました。
半面、お金もかさむので売却したいという願いもあったようです。しかし、買い手がつかないまま、亡くなりました。そして、誰も引き受け手がない家は、私が 引き継ぐこととなりました。
幸い、早期退職や田舎暮らしが流行り始めた頃だったので、なんとか買い手が見つかり、処理できました。
今住んでいる家の相続
父母が何十年も前に建てたこの家も、そろそろ 具体的にどうするか考えて行かなければなりません。
私の子どもたち達が、ここに住むことは期待できないので、負担を背負わせるわけにはいきません。
老後の選択
その場その場の選択が、 その後の運命を決める。今は、そう思います。その時は、迷った末,ある一つの選択に至るわけですが,、それによって自分の人生が決められて行くものですよね。
今、住む家があるのはありがたいのですが、老後、どうしていくかは、悩みのタネです。税はかかるし、あちらこちら壊れていくし。
どの選択がベストなのでしょう!? アタマもカラダも、少しずつ衰えていくのが自然の流れ。
父の最期を看取り、母の最期を看取った私の望みは、健康寿命をのばし、最期は穏やかな老衰で静かに逝くことです。
老後、不幸になるか幸せになるか
「父母のような老後を送りたいか」と聞かれたら、 同じようにはなりたくないと答えるでしょう。
「父母の老後は幸せだったか」と言われれば、そうではなかったと思います。
父の老後
父は、早朝から夜帰宅するまで、平日、休日を問わず、仕事にその大半の時間を費やしました。田舎の実家を守り、苦労を重ねました。
退職後、ようやく自分のやりたいことを自由にやれるようになったのもつかの間、肺がんで倒れてしまいました。
そして、壮絶な苦しみを味わった末に、悲惨な亡くなり方をしました。
母の老後
母は、長男の嫁という田舎のしがらみで、姑や父方きょうだいとのかかわりに苦労しました。
90歳を超えた姑の介護で、母の自由は奪われました。
生涯に渡った義務から、ようやく解放され、夫婦の温泉旅行を楽しみ始めた矢先、夫の死を迎えることになったのです。
足腰の丈夫だった母も、認知症の進行には勝てませんでした。施設入所によって自由を奪われ、楽しみを十分持てずに亡くなってしまいました。
アリとキリギリス
『アリとキリギリス』というイソップ物語がありますよね。
冬に備えてせっせと働くアリと、遊んでばかりいる怠け者のキリギリスのお話です。
父母は、アリの生活だったと思います。働き続けるアリは、果たして幸せだったのでしょうか。
その問いに対して発信したの幸せになる人の違いを指
アリは、生きるだけでよかったのか
著者の上阪氏は、次のように問いかけています。
「当たり前のように働き、欲しいものも我慢して貯金し、将来に備えて生きる。それは本当に豊かな人生といえるのか」
一生懸命働き、節約してコツコツお金を貯め、将来に備えるだけの生き方でいいのかということです。
父母がそうであったように、高齢者の多くは、そうした働きアリの生き方を強いられてきたかもしれません。
かけがえのない豊かな人生
先々のために、お金を節約することも大事ですが、キリギリスのような生き方も取り入れてほしいということです。
そのときにしかできない、充実感あふれる経験もあるかもしれない、今しか味わえない喜びがあるかもしれない、ドキドキ、ワクワクした魅力的な新しい経験で、自分の世界を広げられるかもしれない。
そう考えると、お金の節約だけのために、貴重な時間を逃すべきではないということです。
著者の願い
上阪氏は、この本に込めた願いをこうつづっています。
「一人でも多くの人が、漠然と流されるように生きるのではなく、明確な目的と意図を持って人生について考えるようになることだ。明確な将来の計画を持ち、同時に今を楽しむことも忘れない。そんな生き方をしてほしい」
自分のための選択
自分自身の老後を考えたとき、現実の生活を不安にさせる材料は数多くあります。まったくストレスフリーで、自由気ままに過ごすわけには行きません。
ただ、自分を楽しませる経験を意識的に創り出して行くつもりです。
限られた時間だからこそ、自分のための人生を選択して行きたいと思います。
医師たちの語る延命治療の現実と選択
久坂部羊さん、中山祐次郎さん、鎌田實さん“現役医師作家”が語る延命治療の現実「過大な期待は捨てることが肝心」
無駄な治療はやめるべき
久坂部さんは、「延命治療には非常に悲惨な結果もある」と指摘し、「本人と家族が悔いを残さないためにも無駄な治療はやるべきではない」と主張します。
「高齢で寿命が近づいた患延命治療への過大な期待を捨てることがまず肝心」で、過度な医療を受けずに死ぬことが最も穏やかで好ましい死につながると確信している」と言います。
医療者の常識では無理な延命治療=不幸
湘南東部総合病院外科医で作家の中山祐次郎さんは、無理な延命治療は希望しないといいます。
延命治療は、狭義には、“無理な蘇生行為”のことで、「苦痛が激しいうえに実際の延命効果はそれほどなく、本人のメリットは1つもないから」という理由です。
一方、広義の延命治療には、「治癒がほぼ見込めないステージIVのがん患者に対し、手術や抗がん剤治療を行うこと」などがそれにあたり、(副作用がある苦しい治療をどこまで頑張って続けるのか」というタイミングは、「本人や家族、主治医などが話し合って見出していくことが必要だ」と主張します。
死期を引き延ばす延命治療は一切お断り
医師・作家の鎌田實さんは、「元気なうちの意思決定が重要だ」と話します。
「もう治らない状況で輸血や点滴、人工呼吸や透析をして寝たきりのまま生きるのは、治す医療ではなく命を延ばすだけの医療」で、「何もできない状態が続く(延命治療)ならば受けたいとは一切思わない」と言います。
助からないなら、延命治療は受けない
永寿総合病院がん診療支援・緩和ケアセンター長で緩和ケア医の廣橋猛さんは、「治療しても以前の状態に戻らないなら、それ以上の延命治療を受けるつもりはない」と言います。
「延命治療を考える際に大切なのが、家族との話し合いで、「自分にとって延命治療とは何か、自分はどう生きたいのかという価値観にまで踏み込んで話しておけば、完全な答えでなくても、何かがあったときの判断する根拠になる」と主張します。
周りが早く死んでほしいなら、はいどうぞ
精神科医の和田秀樹さんは、「判断を迫られたときに周りが『早く死んでほしい』と思うならそれに従うし、『1秒でも長く生きてほしい』と思ってくれたらありがたい話です」。
「人はみな死ぬのだから、寿命を延ばすための延命治療こそ断固拒否し、食べたいものを食べて飲みたいものを飲んでいる」と話します。
話し合うことが大事
在宅医療専門医で向日葵クリニック院長の中村明澄さんは、話し合うことが大事だ」と説きます。
「延命治療にかかわる大きな選択を迫られたとき、約7割のかたは自分の意思表示ができない状態だといわれている」ので、「時間のあるときに、延命治療について情報収集してよく考え、大切な人と話し合ってみる」ことを推奨しています。
本人の意思と家族の話し合い
延命治療について、日本では、家族が決める傾向にあるそうです。延命治療をどうするかという段階では、本人は意識が亡いことが多いからです。
上記に挙げた医師は、命をつなぐだけの延命治療は、本人が苦しむだけで必要ないと考える傾向にあります
治らない状態がわかっていて輸血
父は、ガンが全身にまわっていて治る見込みがなく、命が絶えるのを待っている状態でした。にもかかわらず、輸血を行ったことで苦しみを加算されて亡くなりました。静かに眠るように消えていくことのできた命だったのに。
父の死と直面したからこそ、最期は、延命治療の選択ではなく、緩和ケアを充実させて、自然に任せた死を望んでいます。
自分の家系は、「がん系」か「血管系」か、水分と睡眠の大切さ
自分の家系は「がん系」か「血管系」か
医師でジャ-ナリストの富家孝(ふけ・たかし)さんが執筆した記事を読んで以来、 自分の家系は「がん系」なのか「血管系」なのか気になり始めました。
大半を占める日本人の死因は、「がん系」か「血管系」なのだそうです。
富家孝とさんは、脳に必要な「年とったら水をいっぱい飲め」ということを主張しています。それからもう一つ、「十分な睡眠を取れ」だそうです。
最近、75歳の後期高齢者となる前に亡くなっている有名人が多く、気になっていると言います。
日本人の死因
日本人の死因は、
「悪性新生物」(がん)26・5%。
「心疾患」14・9%、
「老衰」10・6%
「脳血管疾患」7・3%、
「肺炎」5・1%
だそうです。「心疾患」と「脳血管疾患」は血管系です。
「老衰」は加齢によるもので、自然に枯れ果てるという、ある意味、理想的な死に方で、できれば苦しむことなく、こうした亡くなり方をしたいものですが、ごく少数であるということです。
私の家系は、どちらなのか
父の家系は、がんで亡くなることが多かったので、がん系だと思っていました。その中で、叔父は、心筋梗塞でした。
母は、脳梗塞を起こしたことがあります。最期は、老衰という状態ではありましたが、血栓のクスリを飲んでいましたし、血管系と言えると思います。
両方の可能性
結局、がん系、血管系、老衰、すべての可能性がありそうです。
心臓も脳も、血管に関係あり、水分と睡眠を十分にとることは、意識しなければならないと言うことです
死に向き合うこと
これまで、人の死には何度かかかわってきました。
しかし、自分自身の死に対しては、必ずいつかは迎えることであるにもかかわらず、実感として向かい合う構えのようなものはありません。
年金の繰り下げや、新ニサをどうするかという具体的なことにぶつかることによって、自分はいったい、後何年生きるのだろうかという自分の寿命を考えるということが起こっています。
自然に静かに老衰で亡くなるという死に方が1番いいと思っていますが、病気による死因が大半だと知ると、どんな状態で最期を迎えることになるのだろうと、先の見えない一瞬の不安のようなものを感じます。
どう生きるかしか考えてこなかった自分にとって、「死」を意識することが、後期高齢者となる年齢に近づくに従って、増えて行くことになるのでしょうね。
まとめ
老後、幸せになるための唯一の方法は、先々を心配しすぎず、好きなことを見つけて、自由気ままに楽しく生きて行こうとすることのようですね。