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思春期の摂食障害の経験|母とのかかわりに根づく原因

振り返り

日記をつけていた

20の頃から、いやもっと前からかもしれません。日記を書き続けて来ました。自分の気持ちを整理するために、その時の思いを書き留めておくために、悩んでどうしたらいいかわからないときに、先のことを思い立ったときに、ふと、何かに気づいたときに。

今まで、そのことを誰にも言ったことはありません。見せたこともありません。日記は、自分自身の考えをはっきりさせるための手段であり、日々の思いを綴る記録でもありました。

もう、その日記はすべて燃やしました。さまざまな悩みがあり、問題を抱える中で書いた記録を、自分だけのものにしておきたかったからです。

ブログを書くことにした

父を亡くし、母を亡くし、妹を亡くしました。実家には、私ひとりが残りました。

ブログを書こうと思ったきっかけは、これまでたどってきた経験を振り返り、子育てに奮闘している方、思春期の子どもたちに悪戦苦闘している方、大人に成長した子どもたちとのかかわりの良好な方、または不安に思っている方、介護に悩みを抱えている方などに向けて、発信していきたいと思ったからです。

今まで自分の中にしまってきたことをオ-プンにしていこうと考えたからです。娘・息子に関しては、未だ進行形ですが。

10代の頃

10代の頃は、思えばいろいろなことがありました。小学校時代の楽しい思い出もあります。

しかし、6年生になる前に転校することになり、転校した先でのつらい思い出もありました。

10代後半、思春期の問題を抱えました。今では、「摂食障害」という診断がついたのでしょうが、その頃、そのような病名は認知されていませんでした。

今回は、自分の摂食障害経験について書きます。

娘と息子の思春期

先日、何かの番組で耳にしたのは、ある母親の相談で、「20歳になる息子との関係が非常に悪くて、どうしたらいいか」というものでした。

苦悩している母親の悩み、大変ですよね。小さい頃は、手に負えないほど元気過ぎて大変だったとしても、過ぎてみれば、本当にあどけなくてかわいかったですよね。

それが、声変わりした頃からの変貌ぶり! 大変だという意味が違ってくるのです。私の息子は、まだ思春期の複雑な感情が渦巻いているようですが、娘のほうは、思えば反抗期というのがなかったような気がします。

娘に聞いてみると、やはり、思春期の親に対する反抗はなかったと言います。この違いは、男女の別というわけではなく、性格的な違いのようです。

娘自身に言わせると、人のことを気にするタイプだから、親との関係も気になったのだそうです。基本的に、親の言うことをよく聞いて育ったということです。

ただ、一度だけ、私と取っ組み合いのケンカをしたことがあるのを覚えていると言います。

でも、原因はよくわからないというので、翌日にはすっかり解決したのでしょう。私は、まったく記憶していません。

自分の思春期時代

現在は、息子や娘とのかかわりで、右往左往している母親なわけですが、自分自身の思春期はどうだったのでしょう。

中学生の頃から、高校を卒業する頃まで、一番苦しい時期でした。今では、「摂食障害」とか「思春期痩せ症」とか病名がつくのでしょうが、当時は、まだ知られていませんでした。

母が、強制的に私を病院に連れて行きましたが、医者は診察しても、どこも悪いわけではないので、手だてがありませんでした。

大学に入り親元を離れてから、自分の状態を自覚するようになり、病院に行きました。自分が自由な気持ちになってからは、治療の成果もあって、メンタルもカラダも回復することができました。

きっかけは、クラスメートから、「チョコレートを食べ過ぎるとニキビになるよ」と言われたことでした。

ニキビが気になり始めていたので、チョコレートを食べるのをやめました。それからは、ニキビの原因となる食べ物を拒絶するようになって行きました。次第に、お腹にたまるようなものも控えるようになりました。

どのような生活だったか

受験勉強をするという理由で、夜中遅くまで起きていました。学校から帰るとすぐ寝て、夜に起き出し、夕食を別の時間に、ひとりでとるようになりました。

家族と一緒に食事をすることを避けたのです。ロ-カロリーで少量のお弁当を学校に行く前に、自分で作りました。

一日に食べる量は少ないのに、カラダを動かして、カロリーを減らそうとしました。できるだけ低カロリーのものを食べ、そのくせ、運動してカロリーを消耗しようとしました。

体重は激やせしました。不思議なことに、体重は気にしたりしていなかったので、体重測定の日、体重計の値が自分でも信じられませんでした。

それでも、食事制限と運動をやめませんでした。自分の行動は、ダイエットという意識ではないのです。完全にメンタル的に、自分でプレッシャーをかけていたのです。

どのようなことが影響していたか

中学校に入学後、数ヶ月で新しい学校に転校しなければなりませんでした。友だちを作るのにも苦労し、精神的にもプレッシャーがありました。

しかし、そうした状況より、自分の心の中にあった、母に対する反抗心のほうが大きな影響を与えていたと思います。望まない習い事を強制的にやらせたり、相談もなく家庭教師をつけたりしました。

姑とのいさかいが絶えず、姑と嫁との間に挟まる父とのやり取りを、まのあたりにしなければなりませんでした。

このことで、家庭が明るくて楽しい場だとは、思えませんでした。妹と私は、いつも比較されていたという感覚がありました。

私は、お姉ちゃんだから、我慢しなければならないと思い込んでいました。母はバーゲンがあると、自分以外に私や妹の分まで洋服を買ってきました。買ってくるのはおそろいのデザインで、妹には、いつも明るくて派手な色、私には、いつも暗くて地味な色でした。

私自身が意識していたのは、母の作った料理を食べないことと、妹より多く食べないことでした。自分で自分を縛り付けていたのです。

高校を卒業して、家族と離れることで、私の症状は回復して行きました。性格も明るくなりました。

子を思う母の気持ち

母に対しては、心の底でずっと反発を感じていました。そんな私が、母の面倒を最後までみることになったのですから、不思議ですね。

お互いに優しい関係になれたのは、母が弱くなってからです。それまでは、正直なところ、子は母を愛し、母は子を愛しというかかわりではありませんでした。

今になって想像してみれば、ろくに物を食べずに、目に見えて痩せ細っていく娘に対して、母は、どれほど辛い思いをしていたのでしょう。

反抗しまくっていた娘を頼らざるを得なくなった母は、どんな思いだったのでしょう。自分が母親になってみて、子を思う母の気持ちがわかるようになりました。

摂食障害の共通する原因: 西村ゆかさんの記事を読んで

論破王として知られるひろゆきの奥さん西村ゆかさんが、14歳のときからひろゆきに出会う27歳まで、摂食障害で苦しんだ過去のあることを記事で読みました。

毒親とも言える母親との関係の中での家族環境に問題があったようです。摂食障害については、後ろめたさや恥ずかしさがあり、誰にも言えずに悩んでいたのですが、ひろゆきには自然と心を開いて話すことができ、彼もいろいろ気づかってくれたのだそうです。

摂食障害のベースにある意識

西村さんにとって、「食事は楽しむ時間ではなく、ただひたすら詰め込んでストレスを吐き出す手段となってしまっていた」のですが、ひろゆきとの食事の時間は、「食事をする楽しさを思い出させてくれた」と言います。

まさに、西村さんにとっては、ひろゆきとの出会いが救いの神だったわけですよね。摂食障害について西村さんと共通するのは、母親との関係です。

母親への反抗心と、家庭がストレスのたまり場だったことです。当時、摂食障害という精神的疾患についても知られていませんでしたし、自分が摂食障害という病気であるという意識もありませんでした。

思春期という心とカラダのアンバランスという成長過程で、家庭生活という支えになるはずの環境が、逆にストレスを生む環境である場合、自分自身を虐待する現象が起こるのかもしれません。

母親に対する反発や攻撃は、直接、相手を責める行為には及ばず、逆に、自分自身を責めることになってしまうわけです。

救いの手は、家族以外であり、自分を認め、わかってくれようとする温かい存在。

西村さんの場合は、ひろゆきだったわけですし、私の場合は、寮の仲間でした。今、摂食障害で苦しんでいる方たち、摂食障害のお子さんをお持ちの親御さんたち、何かしら、親子関係や家庭環境に原因となることが存在しているはずですよね。

食べさせようと強要することは逆効果でしょうし、問題は、食べる•食べないの表面的な問題ではないはずです。また、思春期が終われば解決するということでもないと思います。

一番必要なのは、当事者が心を開ける環境、理解者の存在かもしれません

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